道草食っていいよ
今日は風呂に2回入ったやまざるです、こんにちは。
きこりの現場は土曜日もやってますがここの仕事もあるので土日は休ませてもらいました。
今日は楽園に行くまでの道の草刈。
道の両側がご覧のように雑草が生い茂り車で通るとばさばさと当たるようになったので刈ることにしました。
刈った草はもちろん馬やヤギのえさになります。
これで軽トラック2台分です。
すこしはきれいになりました。
でもまだまだこの10倍の距離が残ってます。
子供の頃「道草食わないで早く帰って来い」などとよく言われましたがそのころは意味も考えずにそのまま「寄り道するな」という解釈をしていました。
よく考えると面白いですよね、道の草なんか食べるわけないのに。(大体都会では道に草なんて生えてませんから)
馬を飼い始めてやっとその意味が分かりました。
昔はどこの家にも馬がいて農作業の立派な働き手だったそうです、そして作業が終わると畑や田んぼから家まで一人で(自分で)帰って来たそうです。
でもたまに道の草を食っていてなかなか帰ってこない奴もいたそうです。
うちの馬も引いてやるとついてきますが離すとすぐ道の草を食べ始めますから。
語源を調べたわけではなけれど多分その頃のこういう状況が「寄り道」イコール「道草を食う」になったのかなと勝手に納得しています。
余談ですが聞いた話によると今では邪魔にされている道端や田んぼの畦に生えている雑草も大事な馬用の食料だったそうです。ですから誰々がうちの田んぼの草刈ってしまったとかで喧嘩にまでなったこともあったそうです。
余談の余談ですがその昔といってもその人はまだ生きていますが白河まで配達に馬を使っていたそうです、そしてその人が帰りは疲れて馬の上で寝てしまっても気がつくと家に着いていたそうです。いまでこそ舗装で新しい道も出来て白河まで20キロ程になりましたがその頃は道も悪く距離も30キロはあったと思われます、そんな中で細い道を何回も曲がりちゃんと家に帰るとは。感心。
そのころ馬はとても大事にされ家の中の一番良い場所(東南の角部屋)が厩だったそうでみんなにかわいがられてもいたそうです。
でも悲しい話も聞きました。この辺は山が多いので昔から林業が盛んでその馬は山から伐採した木を出す「木出し」という作業に使われていました。
今お世話になっている何代も続く製材所の社長さんがまだ子供だった頃、山で木出しをよく見ていたそうです。
そして太くて重い木を馬が一所懸命引っ張るのですがどうしても動きません、そんな時馬方がわったわったと木の棒で馬を叩くのだそうです、馬も必死に引っ張るのですがなんとしても木は動きません。そんなことを何回も繰り返しているうちに馬がぽろぽろと涙を流しているのに気が付いたというんです、おらが「本当ですか?」と聞くと「あの光景は目に焼きついている、間違いなく泣いていた、かわいそうだったない」と言いました。馬方も木を出してなんぼだったのかもしれません、人間も食べるのがやっとの時代の事とはいえ悲しくなってしまいました。
その社長はおらより5才から10才程上の人ですからちょうどおらの産まれた頃の話ですからそんなに昔の話ではありません。
それに引き換えうちのシルク、オーディン、凛は幸せもんだ、毎日食ってはじゃれて寝てのほほんと過ごしてます、「昔この辺では毎日こき使われて死んでいった馬が沢山いるんだぞ、おーい聞いてんのか?少しは感謝しろー!!」
先日おらの高校の先生が来たときにこのブログにも書きましたがここ東北がいかに最近まで貧しかったかが地元の人の話を聞くとよく分かります。
だから働き者が多いのかなー?
道草の話から随分脱線しましたのでこの辺で今日の国語と歴史の授業は終わり、なんのこっちゃ。 やまざるでした
「道草を食う」の語源
お久しぶりです。
たまにはblogに協力しようかと「道草を食う」の語源を調べまてみました。やまざるさんの推測がほぼ正解のようです。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~baru_sa/baru_laisa4.htm
私が小学校の低学年の頃、帰り道で数回だけ牛が畑を耕している姿を見た覚えがあります。珍しいので、私の方が道草を食って見てました。
ありがとうございます
TACさんいつもありがとうございます。
たしかTACさんは岡山でしたっけ?それとも広島だったかなー。この40年で大分世の中変わりましたよね、この変化のスピードがこのまま続くともうおらはついていけそうにありません。のでこれからはスローライフでアナログ的にゆきますのでデジタル面はよろしくお願いいたします。(笑)